ためブロ

世界一周旅行のためになるブログ

会社

結局やりたいことってなかなかできない。

 

こないだまで会社のためにいろいろやろーってやってたけど、仕事仕事でそんなことやる暇がなくなっていく。

 

会社は仕事しなきゃお金がもらえないから仕方ないっちゃ仕方ないけれども。

 

そうじゃないと思う。

 

仕事して気づくこともたくさんあるけど、

仕事とは別の時間を使って会社を良くしようという時間を作らないと、会社はダメになると思う。

 

会社はだめにならなくても、会社からいい人がいなくなると思う。

 

お金を得てから、いい人を雇うのもありっちゃありだけど。ね。

 

なんだかなー。

頭を働かせる

あるブログで読んだ。

 

何かを始めるとき、考える意識がなくても、

無意識のうちに【なぜ】【どうやって】【いつ】【どこで】【なにを】の何れかのパターンで考えるらしい。

 

仕事で、「これ、やっといてー!」って頼まれたとき、自分の場合はまず【どうやって】やろうか考え始める。

【いつ】までにとか、【なぜ】何のためにとかは、大体後回し。

 

考え方が固定化されているから、

上記の別パターンで意識的に考えることで、脳が働き始めるらしい。

 

なので、自分の考え方や、アウトプット、仕事の質を上げたいと思っている方などは、

こういった施策も必要なのかと思います。

人事

人事の仕事がしたくなった。

 

会社の制度や人の精神ケアや、人と人との繋がり、教育制度、キャリアパスの考え方とかそーいうこといろいろやってみたくなった。

 

けど、それはコミュニティマネージャーじゃない?って言われた。

 

でもコミュニティマネージャーって仕事の幅が広すぎて調べども調べども、よくわからず。

 

まだぼんやりとした職業っぽいから、

無理に当てはめないほうが良さそう。

 

むしろ、やりたいことを列挙するほうが良い。

 

何を実現したいのか

何故実現したいのか

いつまでに実現するのか

どうやって実現するのか

 

今日はBacklogに無料プランがあるのを知って、

課題管理できるようにしたから、

これからはBacklogで進捗管理していこう。

 

 

提案

今までは会社のやり方に従い、仕事をしてきた。

 

大体の人たちと同じように、

趣味はあるけど、仕事に対して特に大きなやりたいことや、目標なんかもなく、ただなんとなく。

 

でも、ずっとそこに違和感があった。

 

きっと、そこの違和感を取り除かないといけないんだ。

 

だから、なんでもいいから、仕事を通じたところでこんなこと仕事としてやってみたいなーって思うところを上司に提案してみた。

 

割とすんなり、いいね!って感じだったけど、

その上まではかんたんには通らず。

 

ただ、今回は思ったことを提案してみただけだから、これから、自分ならこうできるから、こういうポジションが欲しい!とか、もっと具体的に提案していこうと思う。

 

このあたりができるようになると、

仕事が面白くできるようになるのかもしれない。

久々日記

はてなブロメから一年前のブログと二年前のブログはこんなんだったよー!

 

ってメールがきた。

 

まんまと罠にハマったわけだが、

見返してみると感慨深いものがある。

 

あのとき、こんな気持ちだったのかーとか。

こんなこと書いてどうするの?とか。

 

 

まぁ、最近もいろいろ思い悩む機会が多い今日この頃です。

 

2016年の1月に転職し、1年半ほど経つわけだけれども、いろいろありますね。

 

会社の実態が段々と見えてくるところもあるし、

娘は成長するし、家は欲しくなるし、

自分と嫁は年老いていくし、お金は欲しくなるし。

 

転職とか考えちゃいますよね。

 

でも、今の会社をただそのまま辞めるのは、

次の会社も同じようになって辞めてしまう可能性が高いと思っている。

 

だから、辞めるにしても、

自分のやり方を試したり、やってみたいなと思うことを色々してから辞めようと思う。

 

そして、自分の気持ちにケリをつけてから辞める。

 

とりあえず半年。

「つらい思いをして生き続けている人たちを殺してあげる」という考え方の狂気、あるいは正当性について、自分のこととして考える


「つらい思いをして生き続けている人たちを殺してあげる」という考え方の狂気、あるいは正当性について、自分のこととして考える|Seiji Bito|note

 

半人の気持ちは、わからなくもない。

この施設のことはよく知らないが、

私が思うのは、よくある一般の病院の話。

 

何かをきっかけに病に倒れ、入院。

多少なりとも脳へのダメージがあれば、ごはんをうまく食べられず、食べさせるための介護を手間と考える病院と国が、老人に胃ろうを付ける。

 

その際、病院側は胃ろうをつけなければ、うちでは入院させられない。と。

 

しかも、転院先などないのだ。

他の病院も同じか、しっかりした思想のもった病院は空きがないのだ。

 

そして、訳もわからない状態で、胃ろうを付けられて、食べることもせず、ただただ日々ベッドの上で、周りもボケた老人ばかりの中で過ごし、回復もままならないまま、ますますボケていき、一人ぼっちで亡くなっていく人たちもどれだけいることか。


そういった現実と世界があるということ。

 

そして、衝撃だったのが、

看護師が、胃ろうをつけた寝たきりの老人に、「○○さん、晩ごはんですよ〜」と、白い液体の入った点滴バッグのようなものに入った栄養剤を取り付けに病室に入ってきたこと。

 

もはや、一般人のそれとは異なる感情だ。

 

 

そんな世界があることなんて、大概の人は知らない。

 

そして、知るのは自分がそうなったとき、

もしくは、親族がそうなったとき、初めて知るのだ。

 

知らない世界は、否定してしまうよね。

だって、恐いから。